7月13日、創立七十五周年記念婦人大会が、木邊美子近畿宗教婦人連盟総裁をはじめとする来賓を迎えて、『生かされて生きる喜び〈いま、ここから〉』のテーマで開催され、長年の歴史と伝統を踏まえて、現代に生きる信仰女性のあり方を問うた。また、記念講演では、歌手で俳優の美輪明宏氏が『「ほほえみ」と共に生きる』という講題で、長年にわたる芸能生活を通じて体得した独特の人生観を親しみやすい口調で講演された。本サイトでは、本講演の内容を数回に分けて紹介する。 ●正負の法則とは
皆様こんにちは。私がただいまご紹介にあずかりました白鳥麗子でございます(会場笑い)。本日は大勢の方がお集まりですが、劇場じゃございませんし、平場で傾斜がついていないので、会場の真ん中から後ろのほうはよくご覧になれない方もたくさんいらっしゃって、あまり背伸びしてご覧になられますと、途中で気分が悪くなったりなさる方もいらっしゃるかと思います。ですから、どうぞご無理なさらないようになさってくださいませ。さて、本日は、梅雨時のきつい雨が降る中を金光教泉尾教会の婦人大会にお集まりいただきまして、本当に有難うございました。
今日、私がお話しさせていただきますのは……。私、本を何冊か書いております。それが、この本の売れない時代に、おかげさまで、出す本、出す本がベストセラーになっておりまして、お若い方からお齢(とし)を召した方まで読んで下さっています。私の『紫の履歴書』(水書坊刊)という自叙伝は、もう34年も前に刊行したものですが、それがロングセラーで、今でも若い人たちに読まれ、大きな書店ですと、ほとんど(美輪明宏の)特設コーナーを作って置いてくださっています。それから、一昨年に出しました『人生ノート』(パルコ出版刊)という本がございます。これは、政治・経済・教育・子育て・結婚・恋愛、どういうふうな生き方をやっていっても、結論は「発想の転換」が必要だというお話です。考え方や角度を変えてみる 。そうすると、政治・経済・子育て・結婚、個人的な自分の生き方、恋愛など、いろんなものに対してとっても楽になるということで、「参考書があればいい」と思って出した本が『人生ノート』でございまして、おかげ様で、1昨年刊行したばかりでしたが、50万部になろうとしています。それも、大した宣伝などしなかったのですが、口コミで広がっていっているそうです。
それから、去年出版しました『ああ正負の法則』(パルコ出版刊)という本は――これは「地球の法則」でして――これを知っていれば、徒(いたずら)に慌てたり、落ち込んだり、悩んだり、苦しんだりしなくて済む。その「正負の法則」とは、すなわち、正と負、プラスとマイナス、陰と陽、この2つのものでこの地球は成り立っているわけですね。人間は正だけを望みます。器量よく生まれて、健康で、勉強もよくできて、学校の成績もよく、好きな人と結ばれて、好きなことをやって生涯が送れて、子供が産まれて、一家全員健康で、そして、おじいちゃんおばあちゃんになっても、孫にも恵まれ、仕事も上手くゆき、経済的に恵まれる。それは、理想ですけれども、これは「地球の法則」に反するわけですね。この地球は、半分悪� �ことがあって、半分良いことがあって、それでバランスがとれているのですが、バランスが崩れて、人間は良いことばっかりを望みますが、それが手に入りますと、地球にいられなくなる。つまり「死を迎える」ということなんですね。
ですから、上手にその負の部分を自分で承知して、抱え込んでいるということがひとつの秘訣でございますね。全部、良いことばかりとなりますと、これはもう「天国の法則」ですからね。天国に行っちゃうわけです。地球からはずれます。そして、悪いことばかり起こりましたら、これも「地球の法則」ではありませんので、魔界に戻ります。魔界っていうのは本当にあるんです。
本当は、あんまりそういう言葉は使いたくないんですけれども、超能力というのか、霊能力というのか、いろんなものが見えたり、聞こえたり、いろんなことが判ったりするんですね。大阪出身の女流作家の佐藤愛子さんが『こんなふうに死にたい』(新潮社刊)という本の中に、私のそういうことを詳しく書いてくださっています。他に、多くの作家の方がいろんな不思議な現象について語ってくださっていますが、そのことは、おいおいお話ししていきましょう。去年、あっという間に13万部売れた『ああ正負の法則』に書いてあるとおりです。
それから、『愛の話。幸福の話』(集英社刊)という本にも書きましたが、みんな「幸福になりたい」と思っています。結婚式の時によく言います。でも、「幸福っていうのはいったい何なのか?」誰も分析したことを言わないんですね。幸福というのは、充足感、満ち足りた思い、「もう、これ以上、何にも要らない幸せ」というのが幸福なんですね。幸福っていうのは何でできているかというと、泡でできているのです。「ああ、幸せ。なんていいお湯加減なのかしら……」そして、五分後には忘れています。幸福とはそんなものなのです。そして、例えば、疲れ果ててお布団に手足を伸ばして、「ああ、寝るより楽はなかりけり。浮世の馬鹿は起きて働く。ああ、幸せだ」と思っても、その五分後には深い眠りに落ちているんです� �。そういうものなのです。ですから、幸福というものは、メーテルリンクの『青い鳥』にありますように、あっという間のことなんですね。これも「幸福になりましょう」ということについて、「いったん手に入れたら、形になって手元に残るものだ」という錯覚を起こしているんです。
●どうしたら幸せになれるか
では、どうすれば幸せになれるだろうか、というと、いつでもどこでも、幸せになれる方法がひとつあるんですね。それは、感謝をすることです、感謝することを何か見つければ、いつでも幸せになれる。ところが、人間というのは、不平不満を数えることは一生懸命やるくせに、感謝することは何も探すことはしないんですね。本当はいっぱいあるのに……。そこら辺のことを書いたのが『愛の話。幸福の話』です。
しかし、この愛というものも、「愛してる。愛してる」と簡単に言いますが、それでは「恋愛というのは? 恋と愛はどう違うのか?」というと、「恋愛は、なぜ恋が先にきて、愛が後にくるのか?」これも、分析していないのですね。
恋は自分本意、自分勝手に相手を好きになること。自分の欲望を満足させるために相手が必要。これが恋ですね。逆に、自分の気持ちとか自分の立場とか自分の幸せはどうでもよろしい。ともかく相手を幸せにするのはどうすればいいのか? 自分が不幸であっても構わない。ともかく、この人を幸せにするためにはどんなことだってやってのけよう。相手本位に地球が回っているのが愛なんですね。初めは恋から入って、愛まで到達できればしめたもの。それが、なかなか愛まで行かなくて恋で終わってしまうことが多いですね。恋愛についていろいろ書いているのが『愛の話。幸福の話』です。これもおかげさまで13万部になろうとしています。
そして、ついこの間、瀬戸内寂聴さんと対談した本を出しました。『ぴんぽんぱん ふたり話』(集英社刊)という本ですけれど、これは、瀬戸内さんが住職に就いた天台寺という岩手県のお寺へ行きましてね。その前に「このお寺には木彫りの観音様が2つ祀ってあるでしょ」と言うと、「はい、あります」と言われるので、「その他に祀らなければならないものがひとつあります。天井眉で貴族のような男の人で30代から40代の人で、心当たりはありませんか?」というと、これがあったんですよ! この6年間、学術調査が入っていて、その学術調査の結果、長慶天皇(註=後醍醐天皇の孫。衰退した南朝の第3代天皇であるが、14世紀に、全国各地を転戦した人物で、その実在すら疑われていたが、1926年(大正15年)になって、やっと「長� �天皇」として認められ、皇統譜に加えられた人物)がここで亡くなられたという首塚があって、「どうせそんなの村人のでっちあげだ」と思っていたら、それが出てきたんですよ。
その方に瀬戸内さんは前世で繋がりがあって、そこへ入ってから、そこをメインにしていろんなことがあって、「いい意味で大変なことが起こりますよ。貴重で良いことが起こります」と瀬戸内さんに言ったら、本当に良いことが起こりました。その本に書いていますけれど、ブームが起きて『源氏物語』が大ヒットして、240万部も出て、それからの瀬戸内さんの忙しさ、ブームになる方ってたいへんですね。それにまつわる細かい不思議なことがございましてね。それから、2人とも共通の友人、川端康成さんですとか、三島由紀夫さんですとか、遠藤周作さんですとかいろんな秀才たちとの交流の裏話やなんかを書いたもの、これが『ぴんぽんぱん ふたり話』という本です。これも、おかげさまで、出した途端に6万部出ました。
●マスコミが日本をダメにした
本が売れない時代に、こんなに出す本、出す本がベストセラーになって、読者カードやなんかでも「50代でリストラに遭った主人が自殺しようと思ったんだけど、それを読んで自殺するのを思い留まった」とか、「家出してた不良の子供が帰ってきました」とか、いろんな話があります。今はマスコミは、悪い刺激的なニュースばっかり流して、どうやって視聴率を上げるか、ビルを建てるか。金、金、金で、みんなを脅かして、不安材料を掻き立てれば、みんな慌てて、視聴率も上がるし、週刊誌も買うというふうに、非常に品性下劣になっています。この日本の中で、一番衿を正さなければならないのは、マスコミ自身なんですね。みんな歌舞伎町文化になっちゃって、物欲と性欲と食欲とこの3本立てになっちゃって、この頃の婦� ��雑誌や、若い人の雑誌、男の人の週刊誌、みんな下品です。スポーツ紙なんて見てご覧なさい。もう、人前で開けられないですよ。女の人が大股開きでね、「アヘアヘ。濡れた欲情」とかいろんなこと書いているんですね(会場笑い)。それをね、公の場所で売っているわけですよ。子供が見ているところで開けられません。
とにかく、日本がそういうふうになってしまった。ですから、親も信じられない。マスコミも評論家も信じられない。たいていの評論家は、どこかの業界の紐付きだってこと、みんなお客さんのほうで判っちゃった。で、評論家も信じられない。そして、マスコミも学者も学校の先生も信じられない。だったら、何が信じられるのだろう? みなさんがそういうものを探っているのですね。ですから、私がお芝居やコンサートのお仕事もそうですけれども、このようなスピーチのお仕事で、こうやって全国を回らせていただくと、どこでも会場(定員)の2倍から3倍のお申し込みがあるんです。ということは、私の日頃の言動をテレビで聞いていて「ひょっとしたら、この人は本当のことを喋(しゃべ)るかもしれない」ということを皆さん� ��している時代なんですね。
毎年、大阪でもお芝居をやらせていただいていますし、コンサートも定期的に開かせていただいておりますが、このようなおしゃべりのほうは、まだ大阪では3、4回しかしたことがないんですね。本日、婦人大会にご参集の皆さんの中で、私のコンサートや芝居をご覧になったことがない方もたくさんおられるかと思いますが、私の話もコンサートやお芝居と同じくらいに、つまりメッセージだと思っていただけたらと思います。
●この世は錯覚でできている
まず、お話ししたいのは、この世の中は何でできているかということです。実は、この世は「錯覚」でできています。人間というものは錯覚をおかす。なぜそうなるかというと、「常識」を基準にしているからなんですね。「常識で言ったら、こうですよ」とか、「常識から外れているわよ」とか、言いますが、それにはまず「常識はみんな正しい」という前提が必要です。ところが、今の世界は、この常識が狂っているんですね。初めから「常識」という物差しが狂っている。でも、真理と常識は違うわけです。真理というのは、もう人類の始まる前から永久に変わらないものが真理なのですね。だから、真理のほうを基準にすればいいのに、人間は常識のほうを基準にしている。
判り易い例を言いますと、もうすぐ8月15日が やってきますね。終戦記念日。1945年(昭和20年)に、それまで、封建主義が正しくて、民主主義はダメ、資本主義もダメ、社会主義もダメ。封建的超国家主義が正解。軍隊なんかでも、ひとつ階級が上の人に、たとえごろつきで間違ったことを言われても、ひとつ階級が上だから「ご無理ごもっとも」と言わなくちゃならない。ともかく、階級がひとつでも上の人が何か言ったら、「黒いものでも白でございます」と言わなくちゃならない。それが美徳とされていた。
そして、社会主義や自由主義のことを言っていた大杉栄(註=明治から大正期にかけて活躍した無政府主義者)だとか、幸徳秋水(註=天皇暗殺を計画したとされる社会主義者)とかは皆、嬲(なぶ)り殺しにされましたね。「何も考えちゃいけない」というものが常識だった� �ですね、戦前は。
ところが、一夜明けて1945年の8月15日になって、日本が戦争に負けました。すると、千数百年続いた封建主義が見事にぶっ壊れて、それまで悪徳とされていた民主主義、資本主義、自由主義が「正しいこと」になっちゃったんですね。そして60年近く経つのに、まだそれが着こなせないで、みんなギクシャクとしていますが、みんなよくここまで来れたと思いますね。
そうやって、一夜明ければひっくり返ってしまうのが、常識なんです。もうちょっと解り易くいいますとね、「この人偉い人よ」、「どうして?」、「どっかの会社の社長夫人なの」といった類の話がいくらでもありますね。弁護士さん、学校の先生、裁判官なの、政治家だから、偉いのよ。「あらそう、そんなのみんな肩書きでしょ? 人格となんの関係があるの。この世の中で一番偉いのは、心がけの美しい、魂が偉い人が一番偉いのよ。みんな同じ仕事をしてる商売人だしね。肩書きなんて何の役にも立たないのよ。仕事の種類を表す記号にすぎないでしょ」と言ったら、大学の学長さんが「おれを商売人なんかといっしょにしないでくれ」と言うんです。ですから、そういうふうな人格だから「あなたは、ものは知っていても� ��人格的には勉強が何もできていない。だから、尊敬ができないのですよ。今まで何を勉強してきたのですか?」と言いました。
頭(こうべ)を垂れる。秋の稲穂も実るほど垂れる。ものが解ってくると、自然と謙虚になるはずです。それを傲慢になるなんて、「馬鹿だからなるんですよ」って言ったら、学長さんが「何を失礼なことを」と言うから、「だってそうでしょ。八百屋さんは野菜を仕入れてそれを売って商売している。学者とか裁判官とか、学校の先生とかそういう人は、知識を仕入れてそれを売って商売しているのよ。商売人じゃない。どこが違うのよ」と言ったら、ぐうの音も出なくなるのですね。
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